#386 小麦粉樽(Flour Barrel)

小麦粉はどんな容器に入っているかご存知ですか?スーパーの棚をみると、大抵ポリ袋もしくはラミネート袋に入っています。ときに紙袋に入ってものもありますが、内側はポリとかラミネート仕様になっているものが多いようです。一方、業務用は、25kg入が一般的ですが、この袋はクラフト紙でできています。それでは昔は、小麦粉はどんな容器に入っていたか想像してみてください。大抵の方は布製の袋であると想像されると思いますが、それはかなり近年になってのことです。昔の小麦粉容器の主流はなんと、「樽(たる)」でした。

樽という言葉から、普通皆さんが思い浮かべるのは、ウイスキー、ワイン、コーヒー、ビールといったところでしょうか。ただ樽はバレル(barrel)といいますが、小樽つまり小さな樽はケグ(keg)といい、ビールはケグに入っていることが多いようです。バレルは元々容積の単位で、石油もバレルという単位で測ります。しかし今は転じて重さの単位にもなっています。例えば小麦の1バレルは196ポンドです。ただバレルは同じ1バレルでも、用途により、また国により、違ってくるので、非常にやっかいな単位でもあります。

さて話は戻り、以下簡単に小麦粉容器の歴史を辿ってみます。昔のそのまた昔、つまり大昔、最初に小麦粉が製粉された頃の容器は、多分、「山羊の皮」もしくは「土製のつぼ」であったと言われています。前者は持ち運びに便利であるのに対し、後者は小麦粉に限らず伝統的な保存容器でした。しかしいつの時代にそれが始まり、いつ頃まで続いたのか、その詳細は明らかではありません。

アメリカ大陸に移住が始まるずっと以前の西ヨーロッパにおいては、既に木製の樽が小麦粉保存容器として使用されていました。その起源はイギリスで、先ほど紹介したように標準サイズは196ポンド(約89kg)でした。よってアメリカに移住した人たちも、その196ポンドの標準樽をその後約200年に亘り使用していたことになります。当時はどの製粉工場にも、大抵樽屋が併設されていて、樽屋の数が製粉工場よりも多いことも珍しくなかったそうです。想像できない位、おびただしい数の、樫の木、楓の木、そして桜の木が樽の製造に使用されたのは間違いありません。

小麦粉を樽に詰める機械は、オリバーエバンスの兄弟によって発明されたそうですが、こういった充填機は19世紀前半になるとかなり普及するようになります。当時のアメリカでは、小麦粉だけでなく、パンや堅パンなども樽に入った状態で流通することが一般的でした。そして田舎の食料品店ではビスケットやクラッカーは決まって、樽の中に保存されていて、それがその時代の風物詩でもありました。つまり当時は、何でもかんでも保存のために樽が使用されたといっていいかもしれません。

布製の袋がいつからアメリカで使用されるようになったのか、詳細は不明ですが、19世紀前半にあったのは間違いないようです。ただ初期の袋は手縫いであったために高価で、よってそれほど普及しませんでした。しかしエリアス・ハウ(Elias Howe)が1846年にミシンを発明したのをきっかけに、このミシンを使用した袋の製造が試みられ、1849年に実用化されました。よって木綿袋の使用はその後、除々増えてはきますが、1880年時点においてはミネアポリスにおける袋の使用率は、樽の1/10程度にしか過ぎませんでした。

最初に使用された木綿もしくは麻製袋の大きさは98ポンドで、丁度バレル(1樽)の半分でした。よってバレルは小麦粉の単位としてその後も使用されることになります。ちなみに1バレルの生産能力の製粉工場というのは、1日に1バレルつまり89kgの小麦粉を製造できるということです。つまり1000バレルなら89トン/日の能力ということになります。この98ポンドの袋が急速に普及するのは1880年以降で、19世紀の終わりには、樽の使用を追い抜くことになります。そして第一次世界大戦までには、樽と袋の比率が逆転し、樽の使用率は10%以下にまで落ち込みます。