#385 「うどんの日」と「そうめんの日」

7月は麺に関連した記念日が二つあります。先ず7月2日は「うどんの日」。これは1980年に本場さぬきうどん協同組合(当時は香川県生麺事業協同組合)が決めました。理由は、讃岐の農家では半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらう為に、うどんを打って食べる風習があり、それに因んで「うどんの日」となりました。毎年「うどんの日」には、さぬきうどん協同組合が、高松三越前でうどんの無料お接待をするのが恒例になっています。

一般的には半夏生といえば、蛸を食べ、またさぬき特有の習慣として、小麦粉でつくった団子に餡こをまぶして食べる「半夏のはげ団子」があります。なんで「はげ団子」なのかというと、白い団子にまぶした餡こがまだらになって、ハゲに見えるからとか、また「半夏」が訛って「はげ」になったとか諸説あります。しかし我らが山田竹系先生の「随筆さぬきうどん」によると次のような解釈もあります。

(中略)半夏生には、さぬきではだんごをごしらえて食べるところもあるが、やはりだんごよりもうどんで、あまり大量のうどんを打つので、いくらベテランでも、時には、サラリとしてよく揃ったうどんばかりでなく、はげだんごみたいな出来そこないのうどんもできあがる。その出来そこないのうどんを冷やかした言葉が、「半夏のはげだんご」である。

ところでひとつ素朴な疑問があります。以上のような経緯で「うどんの日」は7月2日になりました。しかし厳密に言うと半夏生は、いつも7月2日であるとは限りません。半夏生は夏至から数えて11日目でしたが、現在は厳密に言うと、「天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日」と決められているそうで、何れにしても毎年7月2日が半夏生であるとは限らないのです。実際2012年は7月1日が半夏生でした。しかし昨年も7月2日がうどんの日でした。つまり厳密には「うどんの日」≠「半夏の日」となって、個人的にはちょっとしっくりこないところがあります。

「うどんの日」が終わると今度は「そうめんの日」です。これは全国乾麺協同組合連合会が昭和57年(1972年)に「七夕・そうめんの日」、つまり7月7日の七夕の日を設定しました。理由は次のようになります。醍醐天皇の時代に宮中の儀式・作法等を集大成した法令集「延喜式(927年)」が編纂されました。その「延喜式」によると「そうめん」の原型といわれる「索餅」(さくへい)が、旧暦7月7日の七タの儀式に供え物の一つとして供えられたとあります。そして特に、平安期からは、宮中における七夕の行事に「そうめん」が欠かせない供え物になったようです。

若干、我田引水の感もありますが、以下全乾麺の資料からの引用です:
「・・・そこで、七夕飾りに願い事を書くように、鬱陶しい梅雨の真っ只中の七夕に「清涼感をそそるそうめん」を食べて、食欲減退で弱っている身体を癒し、「無病息災を願っては」と思い、業界を挙げて取り組んでおります」。

「うどんの日」が日常生活に密着した、とっても汗くさい半夏の日であるのに対し、「そうめんの日」は七夕さま絡みで実に格調高いですね。同じ麺類であるにも拘わらず、かなり対照的です。ところで今年(2013年)からは7月7日は新しく「干しいたけの日」としても制定されました。どうしてかわかりますか?理由は七夕の星」と「干しいたけの干」をかけたものです。もう少し深い意味があるのかと思いましたが、案外単純でした。7月7日には、是非干しいたけをふんだんに使った旨みの効いただしで、涼感たっぷりのそうめんをすすってみてください。何れにしても暑いときには、冷やしうどんやそうめんなどの麺類がもってこいです。