#176 「うどんの道70年を語る」・・・(有)日の出製麺所・三好清氏

2月14日にさぬきうどん研究会の総会があり、そこで(有)日の出製麺所会長・三好清氏の「うどんの道70年を語る」というお話を聴いてきました。そういえば二年前の総会のゲストスピーカーは、(有)久保製麺を昭和30年11月に創業された久保義明氏で、さぬきうどんのセルフ第一号店となったお話は、印象的でした。

さて清氏は、現在は社長を息子の修氏に任せておられますが、今でも毎朝2時には工場に出かけうどんを打っている現役ばりばりのうどん職人です。お話の内容は多岐にわたり、ついて行くのが大変でしたが、印象に残ったところを簡単にまとめてみました。

司会の真部正敏先生

司会の真部正敏先生

清氏は昭和9年1月20日生の現在75歳。御尊父様が昭和5年に創業されたので、清氏が物心ついた頃には既に麺棒を振り回していた筈で、うどん道70年の言葉に偽りはありません。長女を筆頭に7人兄弟(確か女女男男男男男の順)の末っ子で年齢差はなんと17歳です。御母堂様は、清氏が生まれて以来、ずっと中風で寝込み、清氏が6歳のときに49歳で亡くなられたので、ほとんど記憶はありません。

(有)日の出製麺会長・三好清氏

(有)日の出製麺会長・三好清氏

若い頃は、寝ても覚めてもずっとうどんばっかりで、曰く「毎日20時間うどんを打ってな、それを20年間続けてみいな、そやぁもう気分も落ち込むわぁ。ほんまにどこぞで飛び降りてやろうかと、何遍思たかわからへんわ」っと。現在の陽気な雰囲気からは想像もできませんが、喋りもせずに、ただひたすらうどんばっかり打ってると、気分はブルーになってしまうんですね。

あるとき問屋さんから大口の注文が入り、それこそ寝ずに注文をこなし、なんと25kgの小麦粉を220袋(約6万袋)を一日で使い切ったそうです。しかし納価を叩かれた結果、清氏曰く「結局なぁ20万円損したわぁ!」。そのお話は、お会いする度に必ず一度はでてくるので、よほど悔しかったに違いありません。

うどん玉については、今は一袋200gが一人前と相場が決まっています。しかしこれ一袋食べて満足する人などいるわけがありません。清氏曰く「昔は一玉は百匁(ひゃくもんめ=375g)と相場は決まっとったんやで!、しかしなぁ、粉が上がっても値上げできんかったけん、だんだん玉の方が小そうなったんや」。なるほど、筋の通ったごもっともなご意見でした。

さぬきでは毎年、うどん職人の腕を競い合う「さぬきうどん技能グランプリ」が開催されています。これは昭和54年に始まった「さぬきうどん品評会」が前身で、平成14年から現在の名称に変わりました。清氏はきっと、そのグランプリである「農林水産大臣賞」の最多記録をお持ちの筈ですが、それはともかく、昔坂出にあったY製麺所のYさんがとっても面倒見のよいお方で、この方が中心人物の一人になって、「さぬきうどん品評会」が始まりました。当初は知名度も低く、エントリーも少なかったので、Yさんが色んなうどん屋さんを廻って、勝手にうどんをとって、それを品評会にだしていたそうです。

清氏曰く「それがなぁ、Yさん、みんなのうどんを品評会に持って行ってくれるんやけど、大抵自分のうどんは落選するんや。それでもYさんはそんなん、全然気にせえへんと、人の世話はようするし、自分は出しゃばらへんし、ほんまにええ人やったわ」。また続けて曰く、「それに妙なもんでな、考えて自信満々で持っていったもんはな、大抵外れるんや。ほんで、どうでもええわい、と思ってだしたもんが、農林水産大臣賞になったりするんや」っと。

最後に「うどんはな、外がやおうて(やわらかくて)、芯のあるんが、ほんまにコシがあるんや。ほなけど、最近の若いもんは硬いだけでコシがあると思とる奴も多いけど、それはそれでもかまへんのやけどな、はははっ!」。