#002 「さぬきの夢2000」 Part1 ・・・ その生い立ち

さぬきは昔から良質の小麦の生産地として知られ、江戸の中期(1713年)に出版された百科事典『和漢三才図絵』にもその記述があります。また昭和に入ってからも兵庫、岡山と並び「三県麦」と称され全国的にも高く評価されてきました。この理由は温暖で雨が少ないといった気象条件や土壌が麦づくりに適していたからです。また、塩田は小麦以上に有名で、塩は砂糖、綿と並んでいわゆる「讃岐三白」を形成し、この小麦、塩を原料に品質の高い醤油がつくられるようになりました。更には、さぬきではうどんの「だし」の素材としてイリコ(煮干し)が使われていましたが、観音寺市の沖合に浮かぶ伊吹島は、イリコの原料であるカタクチイワシの宝庫です。このようにさぬきにはうどんに必要なものがすべて揃っていたわけです。

そして小麦の生産量は明治以降順調に増え続け、香川県では1961年(昭和36年)には史上最高の5万3600トンを記録しました。ところが、2年後の昭和38年に状況は一変します。収穫前の長雨で、県内の小麦は壊滅的な被害を受け、作況指数はなんと11まで落ち込みます。またこの時期は折しも高度成長時代と重なり、農業所得は相対的に減り続ける一方で、この年を境に農業離れが一気に加速します。ここ過去数年、香川の小麦生産高は2000~3000トンで推移しているので、当時、いかにたくさんの小麦が耕作されていたのかがわかります。

ところが現在では、みなさんご存知のように、さぬきうどんに使用されている小麦粉の原料の多くはオーストラリア産小麦のASW(Australian Standard White)に切り替わりました。低価格、高品質の外麦は年々輸入量が増え、現在では年間600万トン近くにもなり、そのうちASWは、2002年度には72万トンが輸入されています。つまりASWというのは、今やうどん用小麦の代名詞でもあります。でも未だに、さぬきうどんの原料がこのASWと聞いて驚かれる方がまだたくさんいますが、これも有名な○○の塩がメキシコ産だと聞いてびっくりするのも同じことかもしれません。

では、なぜうどんを食べないオーストラリアでうどんに適した小麦ができるのかという疑問がわいてきます。理由は簡単で、オーストラリアではうどんに適した小麦の研究・開発をしているからです。研究所の中には日本から輸入したさぬきの製麺機が、で~んと置いてあって、ワイン・テイスティングならぬ、ウドン・テイスティングを頻繁におこない、「評価シート」に結果を記入し、常にうどんに適した小麦の開発に余念がありません、とある新聞に書いてありました。アメリカは車にしてもそうですが、アメリカで売れているものをそのまま、日本に持ってきて売ろうとしますが、なかなかうまくいきません。それは、道路の幅、運転席の位置、身体の大きさ、また嗜好もみんな違うのに、同じものを売ろうとするからです。でもオーストラリアはそうではなく、日本人が好みそうなものを研究してそれを持ってくるのです。いかにも日本的な商売です。しかも、日本とは比べ物にならない広大な農地で耕作するので、生産コストは日本に比べてゼロが一個少なくてすみます。だから売れるのです。

しかし、これだけ世間で「さぬきうどん、さぬきうどん」と騒がれても、原料がオーストラリア産だとさすがにマズイと思ったのか(私もできればさぬき産がいいと思いますけど)、香川県は8年の歳月をかけて、讃岐うどん用小麦の新品種を開発しました。食感が良好な「西海173号」を母に、色調に優れた「中国142号」を父として生まれた新品種は、開発された西暦2000年にちなんで、「さぬきの夢2000」と命名されました。もちろん、これまでも「農林26号」、「大地のみのり」、また「チクゴイズミ」といった品種も開発されてきましたが、今回ほど話題になったことはありません。それだけ、香川県も力が入っているのです。

現在さぬきでは、香川県主導の元、大学、製粉、製麺、地元メディアも巻き込み、県産小麦うどん開発研究会を発足し、一丸となって「さぬきの夢2000」うどんの振興を計っています。行政が先頭に立って、さぬきうどんを盛り上げてもらえることは、私たち業界にとってもラッキーでありがたいことです。是非この機会を生かし、さぬきうどんを香川県の産業の柱のひとつにしたいところです。そこで、いよいよ最後になりましたが、ここでさぬきの内麦「さぬきの夢2000」についてできるだけ正確に説明しておきたいと思います。